2012年10月9日火曜日

そうだん

 いつだって、ヤバくなると現実逃避したくならないか? 俺はそうだ。それじゃダメだって人は言う。俺もそう思う。
 ヤバくなったら受話器を取って幼馴染みのマミナに相談するんだ。
「現実にいられなくなった。ヤバい」
 受話器越しの声はとても優しく耳に響いてくる。
「もう、またなのー?」
「今すぐ会おう」
 一瞬間を空けて、
「んー、えっちなことする?」
「しません」
 このヤロー赤面してるな。

 + + +

 近くのファミレスで待ち合わせたアイツはいつだって落ち着いて、にこにこ笑って周りにマイナスイオンみてーな落ち着き成分を振りまいている。マミナはわずばかりふとましいふとももを覗かせた白いワンピースを着ていて、傍から見ている分には、ベネ(良い)。そしてマミナは俺を見つけるとぱぁっと花が咲き乱れるように小走りでやってくる。花ッつっても梅とかその辺の渋い感じなんだけどな。こういう時は先手を打って男の方が上に見えるようにしておかないといけないので、
「遅いッ!」
 とりあえず社交辞令的に怒ってみる。マミナは怒られるのが好きなので、
「えへへ、待った?」
「待ったよ! 超待った! 二十三秒だッ!」
 俺はストップウォッチを首からかけているので間違いない。俺が起きてから2時間14分30秒たっていた。
 マミナはくすりと笑って、眼鏡のつるを両手でちょこっといじった。
「それ全然待ってないよね。相変わらず器小さいよー」
「器小さいどころかもう俺今すぐバッファオーバーフロー」
「らっぷ?」
 そうかもしれない俺の音楽的センスがここに来て開花してしまったのか! という電撃的衝撃を足の裏辺りに感じた。多分気のせいだ。
「今すぐ行きたいこッこッここココス」
 むしろどもった。マミナは上目づかいで、俺の服の端をちまりと摘んで、
「それって手抜きだね。わたしは落ち着ける喫茶店がいいかなあ……りょーちゃんの落ち着きのなさを中和する的な意味で」
「ちょまいっとくが酸アルカリ何でも中和できるわけじゃない。爆発しちゃう可能性も否めない捨てきれない」
「それもそうだね。じゃあ手を繋ぎましょう」
「ああ」
「はい。これは、おもちゃの手錠です」
 鎖で俺とマミナの手は繋がれた。そうされると安心するのだ。
 マミナは警官だった。おっとりしてるのにな。

 + + +

 カフェーに入ったので俺は可愛い店員の制服をガン見しようとした。
 マミナが手錠でちょっと引っ張ってくる。
「ナチュラルにそういうコトしないで。恥ずかしいよ~」
「うむすまん。しかし人はおっぱいに生まれておっぱいに死ぬ。そんなことを思ったのだ」
「うん、うんそうだね。かわいそうな子、あ、注文アイスティーでいいかな?」
「ああいいぜ」
 近くの店員さんに声をかけて
「そういう訳でまた落ち着きのない時期がやって来てしまいました」
「何故?」
「知らないよ」
「知らないことは知るべきだよ。レッテルを貼るのは簡単。でもそれは思考をやめることだよね。りょーちゃんはもっと考えるべきだよ」
 真剣な顔で諫められる。
「私だって、暇じゃないんだから」
「いつなら肥満なんだ?」
「え?」
「すまんいつなら暇なんだ?」
「私はいつだって忙しいよ。ねえ、私がいなくなったらどうするの?」
 何でこう、唐突に関係のない話題に飛ぶの本当に何とかしてくれないかな。
「物理的に死ぬ」
「精神的に死ぬって言ってよ~~~~」
 マミナは店員さんが置いていった透明なプラスティックのコップについた水滴を指先で弄びながら不機嫌そうに言った。
 悪いけど、そういう共依存的関係を築くのは嫌いなんだ。
 頼りたいけど頼りたくないんだ。本当のところ。等というわけにも言うわけにもいかないので、
「すまん」
「まあいいけど」
 【まあいいけど】といったやつの98%はちっとも良くないと思っている(俺調べ)。
「多分これは働こうとしたからじゃないでしょうか? 俺の中のサラリーマンなりたくない病がまた発病したんじゃないでしょうか?」
 俺は【サラリーマンなりたくない病】なのである。これは日本人の一〇〇人に三〇人ほどがかかる奇病なのだが、別にサラリーマンになりたくないわけではない。ストレスフルな企業でサラリーマンをやってると、胸の辺りがキュッとするのである。心臓がミジンコなのである。このキュッとするのが嫌で俺は暫くGDPに貢献していない無職となっていた。マミナは幼馴染みなのでその辺はよく分かっている。
「傍から見てると元気なんだけどね~」
「過ぎたるは及ばざるがごとし的に察してくれ。それで暇だったからプログラムを勉強したんだ」
「何? Haskell?」
「違うよ全然違うよJavaだよ悪かったな」
「何故?」
「ほら、俺ってもう長い事ニート的存在じゃん」
「そうだよね」
「それで人生設計的なものを考えた時に論理的思考とかが重要なんじゃね? とか思ったわけですよ?」
「うんうん」
「まずは論理力を鍛えるために1年ほどプログラミングを勉強したわけさ」
「……人生設計は?」
「うーん、っていうより引き篭もってプログラミングしてたら、いつの間にか1年経ってたんだ。まだ論理力を鍛えてる最中だから、ちゃんと人生設計は考えられてないよ。でも色々出来るようになったぜ? 聞きたいか?」
「へーそうなんだー。りょーちゃん、それは死んだ方がいいね」
「えっ」
「冗談だよ。りょーちゃんは私がいないとダメでしょ?」
「どうしようもない時にオマエと居ると落ち着くんだ。自分でもヘンだと思う」
「前から思ってたんだけど、本当に必要な時『だけ』呼ばれてるよね。私って、本当に都合のいい存在だよね」
「え……?」
「あのさ。中途半端だよね、そういうのって」
「そうか?」
「そうだよ。中途半端だよ? 何もかも中途半端。必要なら求める。必要ないなら諦める。毎日求めないで、苦しい時にだけ縋る。それってズルくない? 私は神さまじゃないんだよ。りょーちゃんが本当にしたいことは何なの?」
「俺は、……」
 口をつぐんで、絞り出すように言う。
「別に、何もしたくないよ。静かに楽しく生きていきたいだけなんだ」
 マミナの表情は変わらない。いつでもにこやかに笑っている。
「それは嘘だよー。嘘ついてる。本当に何もしたくない人なんかこの世界に居ないんだよ。本当に何もしたくない人がいたら、その人は『もう死んでる』よ。りょーちゃんは誰かに思い切り何かをぶつけたいんだよね。でも、それをカタチにするのがすごく大変だから、面倒だから目を逸らしているんだよね。本気でやるのが怖いから。自分の限界を知るのが怖いんだよね。プログラム本当に好きなの?」
「す、好きだよ?」
「ふーん。本当に?」
「……好きだよ。好きになったんだ。一貫性を保って分析的なものの見方と作業を小分けにして当たるためのトレーニングとして……」
「好きなものには、【どう好きなんて理由はつけない】よ。結局現実逃避のためにまたここに来たんだよね? 本当に誰かを好きになったら、私に会っていちゃいけないんだよ。本当に好きなものがあったら【それ自体が支えにならなきゃいけない】。私に向き合う気がないのなら、ここはりょーちゃんを慰める場所にしかならない。……それは進歩のないことだよ」
「マミナ……。オマエには分からないんだ! 違うんだよ! もうどうしようもどうしようもどうしようもなくなるんだッッ! 一人で出来るなら最初から相談なんかしていないッ! 中途半端にだって、なりたくてなっている訳じゃない! どうしてなんだ!? どうしてこうなっちまったんだ!」
「あのね、そんなに私に付き合うの嫌? ちゃんと会話しようよ。それは会話になってないよ」
「ああ……。そうだな、マミナ、オマエは嫌じゃない。どちらかというと好きだ。俺は普通にしたいんだ」
「うん。普通にしたいよね」
「普通のやつは、こういう独り言は言わない」
「うん。言わないね。独り言はね」
「マミナは何がしたいんだ? やっぱりないのか?」
「うーん。わたしは何もしたくないよ。わたしの100%は優しさで出来てるから」
 マミナは笑った。
「死んでるから」

 + + +

 時たま、魂がふわっとどっかいっちまうんだ。自分が見付からなくなっちまうんだ。
 人混みに紛れて何もかも思い出せなくなってしまう……。
 そうだな、上手く言えないが世界が遠くなる……そんな感覚。
 でも、多分それが大人なんだろう。別に俺が変なんじゃない。
 何とかなる……。そう考えていなければやっていけない。

 + + +

「でもね、りょーちゃん。一言だけ言っておきたいの。誰かの庇護にあるのは、そんなに駄目なことなのかなって?」
「違うんだ。俺は一人で頑張りたいんだ」
「無理だよ。りょーちゃんは誰かに守られて強くなっていくんだよ。それはダメじゃない。誰かに守られていない人なんていない。もしもう一度、全てを失ったって大丈夫だよ。私たちは一人じゃない。わたしが守ってあげる」

 + + +

 俺は目を閉じた。

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